聖書が開かれると
詩編 119編129~136節
詩編119篇は聖書について語れています。信仰のはじまりは「聞くこと」にあります。聖書を開いて、そこに書かれた神様も「御言葉」に耳を傾けましょう。
1.御言葉の光
「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます(130節)」
聖書を開くと、私たちに光が与えられます。「光」は私たちが暗闇の中で迷わないように、道を示してくれる大切なものです。現代は蛍光灯やLEDのおかげで、夜でも昼のような明るさがありますが、電気がない旧約聖書の時代は小さなランプの灯火が夜の闇で動くために文字通り必要不可欠でした。時代は変わっても、人の世や心の闇は変わりません。その中で、私たちを照らしてくれる光が聖書にあります。
また、その聖書の光はさらに深い「理解」に導いてくれます。それは神様ご自身を知る「理解」です。単なる日常の気休めや、人生を賢く生きる知恵、程度のつまらないものではありません。主なる神様を知ることは何にも勝る恵みです。
2.飢え渇き
続いて詩編はこう語ります。「わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます(131節)」
ここでいう「戒め」とは、細かい掟やルールではなく神様と人間との関係の土台になるような教えのことを意味しています。すなわち、上で述べたことを繰り返すようですが、本当に求めるべきは神様との関係、もっと言えば神様ご自身であるということを示しているのです。暑いと喉が渇きますが、水分を補給してそれを癒すことができます。では、私たちの内にある飢え渇きを癒し、満たすものは何でしょうか。それは神様とその独り子であるイエス・キリストのほかにありません。その飢え渇きをもって聖書を開くとき、私たちはその主に出会うことができます。
3.約束の確認
「仰せのとおり、わたしの足どりを確かなものにしてください(133節)」聖書は私たちの人生の歩みを確かなものにします。「仰せ」とは神様の与えられる命と祝福の約束を意味しています。聖書を開いて、永遠の主の約束を日々確認しましょう。
<思い巡らしてみましょう>
聖書は求める者に大いに応える神様の御言葉です。