ビジョンとは何か

創世記 28章10~19節

「目標」とか 「将来の夢」といった意味で 「ビジョンを持つ」ということが良いこととされています。聖書の中でも 「幻(ビジョン)がなければ民は堕落する(箴言 29:18)」と、ビジョンを持つことの大切さが語られていますが、一般的に考えられているような自己実現の「目標や夢」と聖書で言うビジョンは意味が違います。

1.人からではなく、神様から

 今日の箇所に出てくるヤコブという人は、まさに神様から「ビジョン」を与えられた人です。その様子を見ていくと、聖書の教える、私たち人間が本当に持つべきビジョンとは何かということが分かります。                                     
    ヤコブは兄に恨まれて命を狙われ、孤独にたった一人で、何も持たずに着の身着のままで旅に出ました。その人生のどん底で夢(ビジョン)を見ました。まず見たのは天から「地に向かって伸びて」いる階段でした(10~12節)。それは、聖書が人に持つべきと教えているビジョンとは、人の欲望や願望から出てくるものではなく、天の神様から与えられるものであることを示しています。

2.スケールが違う大きさ

    しかも、そこで神様から与えられた将来の約束は、絶望の中で横になっていたその土地を彼が所有するようになり、孤独に旅する彼が数えきれないほどの子孫を持つようになるというものでした(13~15節)。現状からは到底想像できない、そして、ヤゴブ個人の人生をはるかに超えたスケールの違う「ビジョン」でした。神様から与えられるビジョンは、人の想像力を超える計画です。その約束を受け取る人は、文字通りスケールの違う神様の恵みを経験する人生を歩む者となっていきます。

 3.夢のはじまりは

    ヤコブは神様に夢の中で出会い、直接ビジョンを与えられたことを喜びました。私たちがビジョンを待って歩むための初めの一歩は、まさに主に出会うことです。 聖書の信仰は、何かの宗教を持つことではなく、生きた神様と共に歩むことです。まず主なる神様を認め、信じて共に生きる歩みをスタートしましょう。

く思い巡らしてみましょう>

ビジョンを待って生きていますか。 主から与えられて歩みましょう