苦しみの実り

イザヤ書 53章1~12節

受難週となりました。イエス様の十字架を覚えて感謝と礼拝をささげましょう。

1.わたしのために

 イザヤ書の今日の箇所はイエス様の時代の700年も昔に書かれていますが、その内容は間違いなくイエス様の生涯、特に十字架のことが語られています。
 イエス様の+字架を本当に知るために必要なことは、まず十字架の原因に「わたしたちの」病、痛み、背き、そして罪があるということを知ることです(4~6節)。イエス様はご自分に罪があったために、罰として十字架にかかったのではありません。わたしたちが赦されるために「わたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた
(6節)」のです。

2.どうしようもない鈍感さ

 その一方でわたしたもの十字架への態度はどうでしょうか。「わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた(3節)」「わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と(4節)」
 人は驚くほど十字架に鈍感です。わたしたちが今、生かされているのは、その背後に黙って十字架でわたしたちの償いをしてくれている方がいるからなのに、それに気づくことなく「自分はすごい」や「自分はつらい」と自分中心の傲慢や不満を言い募ります。馬鹿にするものまでいるのに、なぜそんな相手のために命まで捨てるのでしょうか。どうしてそこまでわたしたちを愛することができるのでしょうか。

3.イエス様の喜び

 イエス様のわたしたちへの愛は、徹底した無償の愛、見返りを求めない愛です。唯一、イエス様が十字架を通して受け取る喜びは、わたしたちが信じて命を受けることです。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する(11節)」とあります。イエス様の最大の喜びは、愛するあなたが十字架によって救いを得て、永遠の命に生きるものとなることです。あなたは十字架を知っていますか。

<思い巡らしてみましょう>

わたしのための十字架を思い巡らしましょう。十字架の喜びを分かち合いましょう