光の中で

エフェソの信徒への手紙 5章6~20節

信仰者の歩みはどうあるべきか、具体的なススメが語られています。

1.暗闇から光へ

 先週は「悪意や悪事を捨てる」ということが語られましたが、そのように「暗闇(8節)」の行いから離れて「光の子として歩みなさい」と今日の箇所では語れています。具体的には、悪事を隠しておくのではなくて悔い改めて「明るみに出す(11節)」ことであり、また聖霊(キリストの霊)を受けて、その導きに従って歩むことです(14節)。イエス・キリスト(の聖霊)が自分の内に住んでいるということを意識しながら、自分の歩みを見ていく時に確かに隠されていたものに光が照らされ、実を結ぶ歩みに変えられていくことを体験します。

 

2.愚かさから賢さへ

次に「愚かな者としてではなく、賢い者として」歩むように教えています(15節)。ここで話題にしているのは、勉強の能力や知識量の問題ではありません。「主を畏れることは知恵の初め(箴言1:7)」とあるように、霊的に開かれた目で、よく考えて知恵を尽くして何事にも取り組むことの勧めです。特に「悪い時代」の流れに飲みこまれるのではなく、神様の御心は何か、そしてご計画は何かをよく祈り、考えて行動することが求められています(16~17節)。

3.酒に酔うより霊に満たされる

 「酒に酔いしれてはなりません(18節)」と聖書は教えます。酒は飲んでも飲まれるなというフレーズを聞いたことがありますが、まさに酒に飲まれて我を失ったりすることを聖書は警告しています。しかし、大切なのは「酒はほどほどに」というアドバイスではなく「霊に満たされなさい」という教えです。霊に満たされ、神様を賛美し、常に感謝をささげること。日々、主を礼拝して生きるという信仰者の生き方です。堅苦しく感じるでしょうか。ところが、実はそれは酒に酔いしれるよりずっと楽しく、豊かな生き方なのです。

 

<思い巡らしてみましょう>

聖霊に満たされることを祈り求めましょう。主が喜ばれるのはどんな歩みでしょう