ルカによる福音書 15章11~24節
「放蕩息子」と呼ばれて有名な、イエス様のたとえ話に耳を傾けましょう。
父なる神様は罪びとのことをどう思っているのか、が分かってきます。
1.離れていく息子
たとえ話には父と子が出てきます。父は「父なる神様」、子は「罪人(の私)を表しています。たとえ話の始まりは、この息子が父に財産の生前分与を要求することからです。息子は財産を受けとるや否や、遠い国に旅立って放蕩(好き勝手でヒドイ生活)の限りを尽くします(11~13節)。ここには聖書の教える「罪」の本質が見事に表現されています。すなわち、罪とは父なる神様から離れて、自分の思うままに生きることです。
その結果、息子は財産を使い果たし、折しも訪れた飢饉の中で飢え死にしそうになります。そう、罪の行く末は、何も残らない「虚しさ」であり、死と滅びです。
2.我に返って、悔い改める
幸いなことに、このお息子lは死と滅びを受け取る直前に「我に返り(17節)」ました。そして、父のもとに帰って謝り。使用人の一人として家に置いてほしいと願うことに決めました。すなわち、彼は自分の罪を知り、悔い改めたのです。
3. 待っていたお父さん
父はボロボロになって帰ったきた息子を大喜びで迎えました。しかも「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて(20節)」駆けつけ、抱きしめました。しかも「まだ遠く離れていたのに…、つまり、ずっと待っていたのです。
さらに「もう息子と呼ばれる資格はありません(21節)」と、悔い改めて言う息子の手に、父は「指輪をはめてやり(22節)」ました。これは正当な財産の相続者である証明となる指輪のことです。彼は再び父の愛する「息子」として、命を得ました。
父なる神様は罪人の私を、あなたを愛しています。立ち返って命を得る日をずっと待っておられる方です。今、主を信じて神様の子どもとされましょう。
<思い巡らしてみましょう>
神様から離れて生きていませんか? 主はあなたを赦し迎えます。