一人はみんなのために

エフェソの信徒への手紙4章7~16節

使徒パウロは生まれたばかりの教会に「教会としての歩むこと」を教えます。先週は、教会は「イエス・キリスト」という一人のために生きる群れだと学びました。

1.一人はみんなのために

「しかし(7節)」イエス様という一人のために生きるとは、自分を消して、個性を無くし、教会という「組織的なもの」のために生きることでは決してありません。
む しろ、キリストは「わたしたち一人一人に(7節)」個性的な賜物を与えられる方です。一人一人が違うのです。その個性ある賜物を与えられた一人一人が、そ れを生かして教会という(組織などではなく)キリストの生きた体を造り上げていくのです(12節)。 与えられる賜物や才能はキリストの「はかり(7 節)」に従って与えられますから、量も内容もバラバラで、私たちの希望や願望に合わせたものとは限りません。しかし、それを主のために用いる者は何倍にも 実を結びます。「与えられた賜物が何か」が大切なのではなく、それをキリストの体のために生かすかどうかが大切です。

 

2.キリストになるまで成長する

それらの個性ある賜物が与えられて、一つの体が建て上げられる目的は、私たちが皆、「成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する(13節)」ためです。教会の成長とは、キリストの体を担う「あなた」の成長です。
そして、私たちの成長の最終目標は「キリスト」です。キリストが私たちの内に完全に満ちるまで、私たちは成長を期待することができ、それを目指すべきです。
私たちの外なる人は衰えても、内なる人は成長を続けることができます。感謝です。

 

3.愛によって

成長は「愛によって(16節)」なされなければなりません。もちろん、「キリストの愛」 によってという意味です。キリストが私たちのために人となり、十字架で死なれて罪を赦してくださったように、私たちも「愛によって」謙遜になり、互いに認 め合い、赦し合い、愛し合ってはじめて本当の成長があります。

 

<思い巡らしてみましょう>

キリストの愛を求めましょう。キリストの聖霊に満たされましょう。