神の国をたとえる

マルコによる福音書4章26~34節

イエス様は「時は満ち、神の国は近づいた(1章15節)」と言って、福音を伝え始めました。「神の国」とは何でしょう。たとえを用いてイエス様が語られます。

1.神の国は

「神の国」とは神様がご支配されている所を指す言葉です。天国はもちろん神の国ですが、他にもあります。あなたが神様を信じて、人となられたイエス様を自分の王として心の内に迎えれば、あなたのうちに「神の国(神の王国)」が生まれます。

2.ひとりでに実る種

その「神の国」をイエス様は二つのたとえを用いて教えました。まず、神の国は「ひとりでに成長し、豊かに実を結ぶ種」にたとえられます(26~29節)。

畑にまかれた種は良い土地に落ちれば芽を出して成長をはじめます(参考:8節)。もちろん、種をまいた人は手入れをしますが、それが育ち、茎ができ、穂がつき、実がなっていくこと自体は人の力によるのではありません。

同じように、聖書の言葉、つまりイエス様の「罪の赦し」と「天国の永遠の命」の福音は、種として私たちの内にまかれます。そして、私たちが信じたときから「神の国」が芽を出し、少しずつ成長をはじめます。種をまいた伝道者や周りのクリスチャンも心を砕いて信仰生活をサポートするでしょう。しかし、神の国(神様のご支配)がその人のうちに成長していくのは、人の力によるのではありません。ただ、神様の不思議な御業によって成長し、やがて豊かな実を結びます。

3.小さな「からし種」

二つ目のたとえは「からし種」です。からし種は本当に小さな粒ですが、それが成長すると高さ2~3mの木にまで成長し、畑のどの草木よりも大きくなります。

「神の国」も私たちの内に生まれた最初は本当に小さなものかもしれません。イエス様への信頼や、信じて生きること自体が、まだまだ自分の中のわずかな一部に過ぎないかもしれません。ところが、神様がそれを育ててくださる時、思いをはるかに超えた豊かな「神の国」が私たちの内に育つのです。一人一人のクリスチャンの内に、そして教会の内に神の国は広がり、やがて大きな木に鳥が巣を作るように、世の全ての人に平和の居場所を与える「神の国」ができていくのです。

 

<思い巡らしてみましょう>

神様を信じてお迎えしましょう。神の国の豊かな実がなります