伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

マタイによる福音書27章32~46節                   

 

 今週は受難週です。イエス様が十字架につけられ死を迎えられた時です。イエス様のお心を思い、それぞれが自分自身と向き合って救いを確信する時です。

1.十字架のイエス(32~39節)

 イエス様は罪人と共に、十字架に架けられます。この時代の極刑、現代の死刑にあたる刑罰を受けます。鞭打たれ、痛めつけられ、その御体で十字架を担ぎ、ゴルゴダの丘まで歩かされます。その御苦しみを和らげる措置として、受刑者に「苦いものを混ぜたぶどう酒」を飲ませることが、慣例となっていました。しかし、イエス様はぶどう酒を拒みます。そこには、父なる神の使命を全うしたいというイエス様の御心が現れています。

 イエス様は苦しみを極限まで受け取り、覚悟をもって十字架にお架かりになったのです。

 2.ののしられるイエス(39~44節)

 イエス様は、父なる神の御心と思いを同じにして十字架に架かられました。しかしその姿を見た人々は、イエスをののしります。エルサレムに入城された時には、大歓迎でイエス様を迎えた人々でありましたが、態度は一変、罵声を浴びせ、ばかにします。そして、その声はエスカレートし、神様を試みる言葉へと悪化していくのです。しかし、自分たちの声が変化していくことに誰一人気づかないのです。

 イエス様は、罵声を浴びせられるその只中で、「父よ。彼らをお赦しください。自分が何をしているのかわからないのです」(ルカ23:24)と神様に執り成し祈るのです。

 イエス様は、私たちの悪しき心を執り成し祈られるのです。

 3.十字架の真実(45~46節)

 イエス様は、息を引き取られるその時に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)(46節)と叫ばれます。父なる神を「アッパ」(お父ちゃん)と呼んでいたイエス様、この時「エリ」(わが神)と呼びかけます。イエス様の真の悲しみは、「父である神に見捨てられること」だったのです。それは、同時にすべての人が神様に見捨てられることのない、私たちの神様からの恵みであるのです。

 あなたは十字架の真実を知り、どう思いますか? その命を懸けた愛にどう答えますか?