伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

 創世記 27章18~29節                     

 「神様の御計画」は、時に私たちにはあり得ないようなやり方で実現されていくことがあります。「神様の選び」も私たちの思いでは変えられない神様の御計画の中にあります。

1.母と息子の共同作戦(18~19節)

 母リベカは、不妊の後、双子の男の子を神様より与えられました。兄がエサウ、弟がヤコブです。父イサクは、エサウを溺愛しました、一方母リベカは、ヤコブを愛しました。この偏った家族愛が、大事件を生みます。年老いたイサクは、エサウに父アブラハムから受け継いだ祝福を渡そうと思い、祝福の機会を待っていました。その事を知った母リベカは、ヤコブに入れ知恵をし、ヤコブにエサウになりすまして、父イサクより祝福を受けるように背中を押します。もともと、世々にわたる祝福(長子の権利)が欲しくてたまらなかったヤコブは、リベカの策略に乗り、イサクを騙し、エサウの受けるはずだった祝福を横取りしてしまいます。私たち人の考えでは、神様がこのようなやり方をお許しになったのか?と思いますが、一度口にした祝福は、人の思いで変わるような小さなことではありません。神様の祝福は、神様の絶対的な力があります。

2.神様の御計画(神様の摂理)(27節)

 人の事情からみると、あまりにひどい出来事ですが、ヤコブが祝福を受けることは、兄弟が生まれる前から決まっていた神様の御計画でした(25:23)。その事を両親が知っていながら、人の愛情中心に行動してしまったことがこの悲劇を招いています。また、兄エサウは、一時的な空腹のために、この祝福(長子の権利)を軽んじてしまったこともあります。(25:31~33)。リベカとヤコブのやり方は、決して神様に許されることではありません。実際この後、ヤコブは孤独な一人旅に出なければならなくなります。しかし、神様の御計画は、私たちの罪の部分をも、そしてその代償の部分もすべてを用いてなされていきます。人生すべてに現されるのです。

 「神様に選ばれること」。それは一度選ばれたら、決して私たちの力で変わることはできません。なぜなら人生すべてが「神様の御計画」になるからです。