主を見ました

 ヨハネによる福音書20章11~18節  

 イースター(復活祭)を迎えました。イエス様が復活されたことを祝いましょう。

1.なぜ泣いているのか

 イエス様が復活したその日、マグダラのマリアは泣いていました。イエス様の遺体がなくなっていたからです(11節)。自分を救ってくれたイエス様が十字架につけられて死んでしまい、今やその遺体まで誰かが持って行ってしまったと彼女は考えました。しかし、イエス様は既に復活していたのです。

 不思議なことに、天使たちもイエス様も同じことをマリアに問いかけます。「なぜ泣いているのか(13、15節)」と。その言葉の意味は、「わたし(イエス様)は復活してここにいるのに、どうして悲しみ泣いているのか」ということです。

 既に起きている素晴らしい出来事を知らないので、人は嘆き悲しむことがあります。今日もイエス様は私たちに語りかけています。「なぜ、泣いているのか」と。あなたはイエス様の復活を知っていますか。イエス様があなたと共におられることを知っていますか。天国と永遠の命を与えられることを知っていますか。

2.だれを捜しているのか

また、イエス様はマリアに「だれを捜しているのか(15節)」と問いかけました。マリアが捜していたのは「死んでいるイエス様(遺体)」です。復活など思いもよりませんでしたから、声をかけられた時にイエス様だとは思いませんでした。

しかし、死んでいるイエス様はもういないのです。捜す相手を間違えていては、いつまで経っても見つけることはできません。イエス様はよみがえられて、今も生きておられます。生きておられるイエス様を捜すなら必ず見つけることができます。

歴史上の人物としてのイエス様を捜しても、あなたの求めているものは手に入れることができません。今生きている主イエスを捜し求めましょう。

3.わたしは主を見ました

 マリアは他の弟子たちのもとに行って、「わたしは主を見ました」と告げました(18節)。この証言はクリスチャンの数だけ、つまり数えきれないほどあります。肉眼で見ることはなくとも、聖書をとおし、信仰をとおして、今も生きているイエス様は私たちの目の前におられます。ともにこの復活を喜び祝いましょう!

<思い巡らしてみましょう>

 なぜ泣いているのか?誰を捜しているのか?主を見ましたか?