伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

 ルカによる福音書24章13~35節                          

 復活の時を迎え、その後いくつかの場所に復活なさったイエス様は、姿を現します。肉体をもって死に勝利して復活なさったイエス様。私たちもその証人です。

1.話し合いの時(13節)

 エルサレムの町では、イエス様の復活なさった信じがたい話でもちきりでした。あまりの摩訶不思議な話は、その日のうちに町中に広まり、混乱していました。混乱したエルサレムから2人の弟子たちは、エマオという町に向かって歩いていきます。ざわついたエルサレムから静かな1本道を歩く二人、そこに1人の男が近づいてきます。それはイエス様ご自身でした。神様は、もっとも出会いやすい時を選び、私たちに現れてくださいます。

2.心鈍い時(15~16節)

 その人はイエス様ご自身でした。しかし、エルサレムで聞いた話に混乱している弟子たちは、イエス様に気づくことはできませんでした。私たちの理解をはるかに超えた出来事だったからです。イエス様は二人のすべてを知っておられました。そして、イエス様が以前話してくださっていた旧約聖書をもう一度教えてくださいました。イエス様こそがメシアであり、聖書はご自分のことを記していることを弟子たちに伝えます。しかし、弟子たちはそれでもイエス様に気づくことはできません。私たちの思い込みは、真実を聞く耳、信じる心もないほどに頑固です。

3.心燃える時(29~31節)

 日も暮れ、弟子たちは、イエス様を無理に引き止めます。共に過ごすことにしたイエス様、食事の席で、パンを裂き弟子たちに渡します。その時、目が開かれ、イエス様だと分かります。するとイエス様の姿は見えなくなります。イエス様ご自身が、私たちと一つとなってくださるからです。そしてその時、私たちは、すべてを知ります。イエス様が救い主であり、私たちと共に今この時も生きておられることを。神様が共にある時、私たちは、死に勝利した命に生かされます。「心燃えている」。神様が共におられる時、私たちは、生きる希望と喜びを見出す力を得ます。

復活なさったイエス様、それは、死に打ち勝った希望の姿です。その希望の命が私たちの中にある。だから、心が燃えるのです。だからイエス様を証するのです。