2020年11月24日 火曜日

2020年4月のアーカイブ

礼拝説教要約(4/26)

思いがけずコロナウィルス感染拡大防止の為に、礼拝を休まざるを得ません。しかし、礼拝説教要約を皆さんのところに送ることで、家庭礼拝の手引きに従って、「自分の場所で礼拝出来る」という特別な恵みを与えられました。説教の聖書個所はディボーション誌「マナ」によります。

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「祈り」

祈るときにも、あなたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたがたは祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる(マタイ福音書6:5-6)

今回のテーマは「祈り」です。祈りの本質が示されています。それは、祈りは人に聴かせるものではなく、神様に対してささげるものだ、ということです。

 しかも「隠れたところにおられる」神様。私たちの目には見えないけれども、確かにいらっしゃって私たちがささげる祈りを聴いて下さる方、それが神様です。

 今回のコロナウィルスに関しても「見えないから怖い」と言った方がいます。見えないけれどもその存在を信じているのです。

 それはクリスチャンにとっては「見えないけれども、たしかにいらして、祈りをきいて報いてくださる方」の存在を信じることとも言えましょう。

 そしてくどくどと祈るな、とイエス様はおっしゃいます。ストレートに願いを申し上げればよいのです。牧師としてよく訊ねられることに「祈りの内容はどういうものですか?」ということがあります。それに対して私は「猫とさかな」と答えています。

 ね・・・願い

 こ・・・告白(自分の罪を告白して赦しを乞う)

 と・・・とりなし(家族や友の為に祈る)

 さ・・・賛美(主をほめたたえる)

 か・・・感謝(請求書ばかりでなく、祈りがきかれたら領収書も発行しましょう。)

 な・・・なんでも(そう。なんでも訴えていいのです。)

公同の礼拝を休まざるを得ない、危機的な状況のなかで、私たちはそれぞれの場所で真剣に祈ってまいりましょう。隠れたところにおられる神様は、その祈りをおききあげくださいます。

礼拝説教要約

常陸大宮の礼拝はコロナウィルス感染拡大防止のため、本日をもってしばらくお休みになりました。そこで、皆さんに礼拝説教要約や祈祷会での奨励をこのページでしようと考えています。

4/19の礼拝はマタイ28:16-20(新約p.60)です。

復活された主が弟子達を派遣するにあたって、使命を与えます。「大宣教命令」と言われる個所です。今回改めて興味を抱いたのは、17節「しかし、疑う者もいた。」とあるところです。復活の主のお姿は生前と少し異なっていたとはいえ、まぎれもなく復活されこうして弟子達に会われているにもかかわらず、疑ってしまう人間の弱さが表れています。けれども、私たちはそれを笑うことは出来ません。私たちも同じ弱さ、揺れ動いてしまう性質があるからです。

 しかし、それもこれもご存じで、主は弟子達にこのような使命をお与えになっているのです。主は私たち一人ひとりを信頼してくださっているのです。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」

それから最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」とおっしゃってくださいました。そう、いかなる状況下にあっても、主は共にいてくださるのです。そして、わたしたち一人ひとりが生きられるように道を開いてくださいます。

その道を共々に歩んでまいりましょう。