仲間をゆるすこと

 マタイによる福音書18章21~35節

「イエス様につながる人の生き方」シリーズ三回目は「人をゆるす生き方」です。

1.七の七十倍ゆるしなさい

 弟子のペトロがイエス様にたずねました。自分に罪を犯した人を「何回赦すべきでしょうか(21節)」イエス様の答えは「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい(22節)」でした。言い換えれば、いくらでも赦しなさいという意味です。

 実際、本当にそんなことはできるのでしょうか。

2.王様と家来のたとえ話

 イエス様はそのことを教えるためにたとえ話をしました。ある王様と家来がいて、家来は王様に莫大な借金をしていました。返済できずに「何とか待ってほしい」と懇願する家来を見て、王様は憐れに思い、なんと借金を帳消しにしました。

 一方で、ゆるされた家来は外で金を貸している仲間に出会います。同じように泣きつく仲間を家来はゆるすことがありませんでした。やがて家来は王様に呼び出されひどく怒られることになります。

 これはたとえ話です。王様は神様を、家来はあなた(わたし)を、そして仲間はあなたに罪のある人をたとえています。借金は罪を表しています。つまり私たちは神様に莫大にゆるされているということが、まず語られています。聖書の教える罪は、犯罪に限りません。心の中まで神様はよく知っています。しかし、神様の前に悔い改めるものを、神様は本当にゆるしてくださるのです。これが聖書の約束です。

3.赦されたように赦す

 逆に私たちは人をゆるせないことがあります。簡単なことならゆるせます。しかし、たとえで語られているのは、簡単にはゆるせない問題の話です。ゆるせないものはゆるせない、それが普通です。しかし「ゆるされたものだけは、ゆるすことができる」のです。人は赦されて、はじめて赦すことができます。イエス様につながる人は、イエス様の赦しを受け取る人です。その時はじめて赦すことができます。

<思いめぐらしてみましょう>

 ①ゆるしたこと、ゆるされたこと、なにか思い出がありますか。②神様の莫大な赦しを実感していますか③赦したいと思っていることがありますか