日本キリスト教団 勝田教会 https://katsutachurch.jp/ 伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です Sun, 17 Mar 2024 11:57:30 +0000 ja hourly 1 https://katsutachurch.jp/wp-content/uploads/2020/01/cropped-icon-1-1-32x32.png 日本キリスト教団 勝田教会 https://katsutachurch.jp/ 32 32 いやされる秘訣 https://katsutachurch.jp/hsuzuki240317/ Sun, 17 Mar 2024 11:57:30 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5726 ルカによる福音書7章1~10節  牧師 綿引久美子 イエス様をも驚かせた百人隊長。彼の言葉から『いやされる秘訣』を受け取ります。 1.イエス様の目に留まるふさわしい人(6~8節の「…」) 百人隊長は、ローマの役人です。彼......

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ルカによる福音書7章1~10節  牧師 綿引久美子

イエス様をも驚かせた百人隊長。彼の言葉から『いやされる秘訣』を受け取ります。

1.イエス様の目に留まるふさわしい人(6~8節の「…」)
百人隊長は、ローマの役人です。彼は異邦人です。しかし、神の民であるユダヤ人に好かれ、自分の部下を信頼し大切にする人でした。また、礼拝を献げる会堂(シナゴーク)を建てたユダヤの神様を重んじる人です。神様の目に留まる人は、愛があります。自分を愛するように、自分の周りの人にも同じ気持ちを持てる人です。イエス様の言葉通りに生きる人です。『癒しの秘訣』はその人の生き方にあります。

2.権威を重んじる人(6~8節「…」)
百人隊長は、部下との関係が親密でした。深い信頼関係にあり、彼の持つ権威を重んじて、彼に従いました。神様が私たちに望む関係を、百人隊長は部下たちと築いていたのです。百人隊長自身は、真の神様(ユダヤの神様)の権威を認知していました。だからこそ、会堂を建てたのです。そして家来を癒すために家に来てくださった時も、「お伺いするのさえふさわしくない」と自分がイエス様の前に、出ていくことができるような者ではないことを、イエス様にお伝えしたのです。彼の謙遜な姿、そして神様の権威をまっすぐに信じていることがわかるその言葉に、イエス様は心を留められたのです。異邦人である彼にイエス様は目を留められます。『癒しの秘訣』はその権威を信じることにあります。

3.ワンランク上の信仰(6~8節「…」)
百人隊長がイエス様を驚かせるほど心に留まったのは、『イエス様の言葉の権威をも信じた』ところです。「信じた」のではなく、「信じきった」のです。『ひと言おっしゃってください』。「イエス様の言葉で私の部下は完全に癒される」その確信が彼にはあったのです。御言葉の権威を認知していたのです。自分の部下が自分の権威を認めて言葉通り従っていたことを通して、『信じる者に従う』ことをシンプルに実践したのです。『信仰』に生きる人は、自然に神様に従順になれることがわかります。
『癒し』は、神様が完全に実現することです。しかし、私たちはその神様の力をシンプルにまっすぐ信じることが難しいかもしれません。私たちのイメージする癒しと異なったやり方であれば、神様のなさった癒しに気づけないこともあります。すべての主権が神様にあって、それを私たちが信じきって任せること(ゆだねる)ができたなら、『癒し』が必ず起こることがわかるはずです。お言葉通り実現する神様を、私たちは知っているのですから、大胆に信じ切って歩もうではありませんか?
『奇跡』を起こす教会の歩みを一緒に楽しく進んでいきましょう!

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信仰は生き方 https://katsutachurch.jp/hsuzuki240310/ Sun, 10 Mar 2024 10:18:16 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5722 ルカによる福音書6章43~49節  牧師 鈴木光 イエス様が弟子たちに話したことを、行動にうつすことについて語ります。 1.木は実によって分かる 「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる(44節)」とイエス様はたとえて......

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ルカによる福音書6章43~49節  牧師 鈴木光

イエス様が弟子たちに話したことを、行動にうつすことについて語ります。

1.木は実によって分かる
「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる(44節)」とイエス様はたとえて言います。いろんな意味で「実」という言葉は聖書の中で使われます。それは聖霊によって結ぶ、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、柔和、誠実、節制」と言った人格的な実でもあるでしょう(ガラテヤ5:22)。あるいは、そもそも信仰があるといっても、それが生き方や行動に出ていなければ実があるとは言えないでしょう。また、「悔い改めの実を結ぶ」というように、悪い習慣が良い習慣に変わることも実です。あなたの信仰と実はつながっていますか。

2.口から出るのは心にあるもの
続けて良いものと悪いもののたとえの中から「人の口は、心からあふれ出ることを語るのである」と言われます(45節)。今度は「信仰」と「言葉」の関係性です。確かに人は心にあるものが口から出てくるものです。
あなたはどんな言葉に囲まれて生きていますか。また、どんな言葉を心にたくわえていますか。イエス様は「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と言われました。聖書の言葉、イエス様の言葉を受けて心にたくわえていきましょう。

3.聞くだけでなく行う
最後に、一連の話を締めくくるようにして、聞いた言葉を行うことの大切さを語られます。どれだけ「主よ」と口では言っても、実際に「主」であるならばその言葉に従うべきです(46節)。
言葉を聞くだけでなく行う人は、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人」にたとえられます(48節)。イエス様を信じる信仰という基礎の上に、「聞いたことを行う」ことがあってはじめて、信仰とその生き方がつながっていくのです。
信仰は宗教の話でも心(だけ)の話でもありません。信仰は生き方です。イエス様と共に生きるとは、イエス様(聖書)の言葉を聞いて従っていくことです。

<思い巡らし>
どんな実がありますか/みことばをたくわえましょう/聖書から聞いたことを実際に行っていきましょう

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人と関わる時は… https://katsutachurch.jp/hsuzuki240303/ Sun, 03 Mar 2024 10:45:22 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5720 ルカによる福音書6章37~42節  牧師 鈴木光 ルカによる福音書の続きから、イエス様の言葉を聞いていきましょう。 1.自分の秤(はかり)を変える 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない」から始まって、......

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ルカによる福音書6章37~42節  牧師 鈴木光

ルカによる福音書の続きから、イエス様の言葉を聞いていきましょう。

1.自分の秤(はかり)を変える
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない」から始まって、「罪人だと決めるな」「赦しなさい」「与えなさい」とイエス様は語ります(37~38節)。なぜなら、まず第一にイエス様が私たちに対してそうであるからです。イエス様は私たちを裁く代わりに裁かれ、罪人とされて十字架にかかりました。それによって私たちを完全に赦し、天国と永遠の命を与えてくれました。イエス様がしてくださったように、というのがスタート地点です。
また、そのようにすることで、実際に私たちの周りの人々も同じように私たちと関わると言います。「あなたがたは自分の量る秤(はかり)で量り返されるから」です。自分の小さく固まってしまった秤から、イエス様の秤(見方、考え方)に変えていきましょう。

2.謙遜に、でも大胆に、イエス様と共に
続いて、他人に関わる時の姿勢について語られます。霊的(信仰的)な意味で目が開かれていない人が、どうして他の人を指導することができるでしょうかと問いかけます(39節)。では、関わらない方が良いのでしょうか? いいえ、これもまた、イエス様に育てられて相応しく関わることができるように成長していくのだと言います(40節)。「教えてやるぜ」という姿勢は相応しくありませんから、謙遜であるべきです。同時に「私なんか」という姿勢も相応しくありませんから、大胆に、イエス様と一緒にほかの人と関わっていく中で、自分も相手も神様との関係が育てられていきます(それが信仰の成長です)。

3.いつでも、まず自分から
最後に、自分の目に丸太があるのに、他人の目のおが屑をとろうとするというインパクトの強いたとえ話をイエス様は話します(41~42節)。他人のこととの前に、まず自分のことから見直しなさいということです。イエス様の言葉(聖書の言葉)はいつでも人に適用する前に、まず自分に適用するのが大切です。
あなたに語りかけているイエス様の言葉をまずあなたが受け取って歩みましょう。

<思い巡らし>
人を裁いてしまっていることはありませんか/傲慢も卑屈もよくありませんが思いあたることはありますか/まず自分に語りかけられていることは?

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むなしい言葉 https://katsutachurch.jp/hsuzuki240225/ Sun, 25 Feb 2024 08:50:31 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5716 エレミヤ書7章1~15節  牧師 綿引久美子 受難節に入りました。私の罪のため十字架にかかってくださったイエス様に慰めを覚えるそんな箇所です。 1.エレミヤの説教(2~4節) エレミヤは、預言者です。涙の預言者です。エレ......

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エレミヤ書7章1~15節  牧師 綿引久美子

受難節に入りました。私の罪のため十字架にかかってくださったイエス様に慰めを覚えるそんな箇所です。

1.エレミヤの説教(2~4節)
エレミヤは、預言者です。涙の預言者です。エレミヤの語る神様からの言葉は、真の預言でありながら、民には受け入れられず偽預言者のように扱われ、孤独な人生を強いられます。旧約の時代は、モーセの時から(公認としてサムエル)神様のお選びになった人を介して神の民たちに、神様の言葉が届けられてきました。預言で語られることは、人の信仰が迷いさまようことを打ち消して、真の信仰へ導く神様の愛が、顕われています。しかし、私たちのレベルではなく、神様の基準であるために、真の問題に私たちがたどり着けないことが多々あります。エレミヤは神殿の前で、そのような問題を抱える神様の民たちに、神様の言葉を取り次ぎます。問題は私たちにあります。
2.むなしい言葉(4節)
民には、神様が常に自分たちの見方であるという奢りがありました。彼らは北イスラエルが滅びた時、自分たちの神殿が倒れなかったことをいいことに、神様は自分たちの所は決して滅ぼさないという的外れな確信があったのです。『主の神殿、主の神殿、主の神殿』とむなしい言葉で主を仰ぎます。神様には呪文のように届いていたのでしょう。エレミヤは、神様から託され、その大きな民の罪に気づき、主の示される真の道へ戻るように警告します。しかし、民の頑なな心には届かず、エレミヤを偽預言者呼ばわりし神様の言葉に耳を貸しません。自分の口から出るむなしい言葉に気づかない彼らは、自分たちの先祖がしてきた神様に対する背きを繰り返すのです。

3.強盗の巣窟(11節)
民の目に映る『主の神殿』民の汚れた行動に染まり、神様の目には『強盗の巣窟』に映っていました。これこそむなしい言葉です。イエス様と出会う前の私たちの心はきっと『強盗の巣窟』のようではないのかなと思います。その私たちの口から出る言葉は、どんなに繕っても、どんなに着飾っても隠せない空しさを持っているのでしょう。『なんと空しいことか。すべては空しい』コヘレトの言葉には何度も記されています。ここには隠された言葉があると思います。『神様がいなければ』です。いける神のいない神殿だからむなしいのです。私たちは神様から与えられた人生を喜ぶこと(コヘレト5:17)を与えられています。イエス様の十字架で流された血潮は、強盗の巣窟を一掃し、私たちを真の主の神殿へと新たにされる唯一の手段です。与えられた人生が神様とあることを喜び、日々感謝をもって恵みを数えて、十字架を仰ぎましょう。

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コスパやタイパで失うもの https://katsutachurch.jp/hsuzuki240218/ Sun, 18 Feb 2024 09:27:18 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5713 エレミヤ書6章10~21節  牧師 鈴木光 エレミヤ書の続きを読んでいきましょう。 1.お手軽に安心したい人々 神様に従わず、逆らい続けてきた結果として、滅亡に瀕していたユダヤの人々でしたが、それでも「彼らは、わが民の破......

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エレミヤ書6章10~21節  牧師 鈴木光

エレミヤ書の続きを読んでいきましょう。

1.お手軽に安心したい人々
神様に従わず、逆らい続けてきた結果として、滅亡に瀕していたユダヤの人々でしたが、それでも「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う(14節)」のでした。
聖書に出てくる平和(シャローム)は神様との関係が回復して良い状態ではじめて有る、まわりの状況などによって左右されない真の平和のことです。しかし、(当時の)不安定な世の中で、本当の問題(神様との関係)からは目をそらして、安心のもとをさがしてお手軽な平和を手に入れようとする人々の姿です。
時代によらず、私たちも同じことが神様に語られています。コスパの良い、お手軽な平和は実は何の意味もないものです。神様と向き合って真の平和を受け取りましょう。

2.待つのも考えるのも嫌な人々
続けて語られているのは、立ち止まってよく見てみれば「どれが幸いに至る道か」分かるはずなのに、そうしない人々の姿です(16節)。さらに加えて、神様の呼びかけを待って、聞くことを呼びかけられても「耳を澄まして待つことはしない」という人々の姿もあります(17節)。
じっくり考えるのは面倒で、待つことはタイパが良くない、と切り捨ててしまうのは今の時代も同じかもしれません。しかし、それは近道をしているようで、ずっと同じところも回っているだけではないでしょうか。立ち止まり、神様の言葉を聞き、幸いに至る道を歩き始めましょう。

3.本当に喜ばれる献げもの
聞きも従いもしないけど、形式的には神殿での礼拝をささげる人々に「あなたたちの焼き尽くす献げ物を喜ばず、いけにえをわたしは好まない(20節)」と神様はいいます。だから、もう私たちはダメだ、というのではありません。そんな私たちの罪を担って十字架でいけにえになったのがイエス様です。あなたは赦されている、だから神様のもとに立ち帰りなさい、と主はあなたを呼んでいます。

<思い巡らし>
お手軽な平和ではなく、神様との関係を回復して真の平和を手に入れましょう/時間に追われず神様に聞いて従いましょう/イエス様と共に

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偽りの誓い https://katsutachurch.jp/hsuzuki240211/ Sun, 11 Feb 2024 13:55:04 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5709 エレミヤ書5章1~14節  牧師 鈴木光 エレミヤ書の続きを読んでいきましょう。 1.偽りの誓い 神様のメッセージを伝える預言者エレミヤが活動したのは、ユダヤの人々の王国が滅びる最後の40年ほどの時期でした。人々は神様か......

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エレミヤ書5章1~14節  牧師 鈴木光

エレミヤ書の続きを読んでいきましょう。

1.偽りの誓い
神様のメッセージを伝える預言者エレミヤが活動したのは、ユダヤの人々の王国が滅びる最後の40年ほどの時期でした。人々は神様から離れ、偶像やまわりの大国に従うようになり、その結果として滅びに向かっていました。
今日の個所の初めには、人々が「主は生きておられる」と口では言うけれど、心は信じていない様子が語られています(1~3節)。神様を無視して結果として滅びかけているのは明白なのに、生き方を変えようとはしない姿です。
同じ問題が私たちの内にあるかもしれません。振り返ってみましょう。

2.赦せないものを赦す主の愛
さらに神様の嘆きは続きます。もともと神様の祝福によって恵まれた人々でしたが、満ち足りるとすぐに神様を放り出して偶像や大国に頼るようになりました。「どうしてこのようなお前を赦せようか(7節)」と主は言います。もっともです。
一方で、ここでも神様の愛がにじみ出ているひと言があります。「しかし、滅ぼし尽くしてはならない(10節)」
実際、この後にユダヤの国は滅びますが、また時を経て再びエルサレムに戻ることになります。そればかりか、何よりも「救い主」を与えると繰り返し約束を与えられます。そして今、私たちにいたっては、その救い主が私たちにも与えられていることを知っています。すなわちイエス様のことです。イエス様は赦しようのない私たちのすべての罪を担って身代わりに滅びました。赦せないはずのものをも赦すために、自ら犠牲となった神様の愛がここにあります。

3.つるを取り払え
そのように赦されているからこそ、私たちはその愛に相応しく生きるべきです。私たちをブドウ畑にたとえて「つるを取り払え。それは主のものではない(10節)」と言います。神様、イエス様でないものに絡みつかれ、従う歩みをやめましょう。かえって神様の「言葉」に従う生き方を始めましょう(14節)。

<思い巡らし>
言葉と行動が一致して神様に真に従うものになっていますか/イエス様の果てしなく大きな赦しを受け取りましょう/イエス様とその御言葉に従うことを土台とする生き方に切り替えていきましょう

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喜びのあふれる集まり https://katsutachurch.jp/hsuzuki240204/ Sun, 04 Feb 2024 13:02:36 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5707 使徒言行録2章43~47節  牧師 鈴木光 今年度(2023年度)は「イエス様と出かける、イエス様と招く」ということをテーマに歩んできました。その中でも今日は特に初代教会の姿から「イエス様と招く」ということに心を留めてみ......

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使徒言行録2章43~47節  牧師 鈴木光

今年度(2023年度)は「イエス様と出かける、イエス様と招く」ということをテーマに歩んできました。その中でも今日は特に初代教会の姿から「イエス様と招く」ということに心を留めてみましょう。

1.主が招く人々
誕生したばかりの最初の教会の様子とともに、「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである(47節)」と書かれています。
教会の最大の使命はすべての人にイエス様の福音を告げ知らせることです。そのために教会は出かけて行き、また招きもします。しかし、まず大切なことは、本当に人々を招いているのは神様ご自身であり、私たちはその結果だということです。
では、人々が主に招かれて集まってくる教会の姿とはどんなものでしょう。

2.奇跡と生活
まず語られている初代教会の特徴は、多くの主の御業が起きていたことと、現実的に互いに生活を助け合っていたということです(43~44節)。
目には見えない神様ですが、実際、私たちは教会において、またそれぞれの信仰の旅路の中で多くの神様の不思議な御業を経験しています。それを自覚していくことや、互いに分かち合っていくこと、また求めていくことも大切です。
同時に現実的な生活の中でお互いに助け合い、励まし合うことも教会の姿です。教会全体だと交わりが薄くても、小さなグループでも互いに声をかけ合い、具体的に気にかけ合うのは素晴らしい恵みです。

3.喜びのあふれる集まり
そして最大の特徴は、礼拝や小さなグループでの集まりが喜びにあふれる集まりとなっていたことです(46~47節)。
当時はまだユダヤ教の人々と共に神殿で礼拝をし、また別に家ごとに集まって聖餐式(礼拝)や食事の交わりや賛美をしていた様子が記されています。それは義務感によって集まるものではなく、イエス様と集まることそのものの喜びによって集まっていました。何か無理に作る雰囲気ではなく、イエス様と共に集まるところに自然と喜びがあふれていきます。私たちも心を主と一つに集まり、招きましょう。

<思い巡らし>
現在の私たち教会の姿はどうでしょう/主の御業を経験し、分かち合っていますか/互いに助け合い励まし合っていますか/喜びがありますか

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敵を愛しなさい https://katsutachurch.jp/hsuzuki240128/ Sun, 28 Jan 2024 07:43:48 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5703 ルカによる福音書6章27~36節  牧師 鈴木光 イエス様の有名な教え「敵を愛しなさい」が語られています。 1.奪うものに与えなさい  敵を愛するということはどういうことでしょうか。色々な形でイエス様が語っていきます。第......

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ルカによる福音書6章27~36節  牧師 鈴木光

イエス様の有名な教え「敵を愛しなさい」が語られています。

1.奪うものに与えなさい
 敵を愛するということはどういうことでしょうか。色々な形でイエス様が語っていきます。第一のポイントは、「奪うものに与える」という驚くべきことです。自分に精神的、肉体的、物質的に自分に損害を与えるものに祝福を与えよと言います(27〜30節)。理解に苦しみますが、なぜイエス様はそういうのでしょうか。
 それはイエス様が私たちに対してまず与えてくださっているからです。十字架はその最たるものでしょう。私たちが善人だからイエス様は十字架にかかられたのではありません。むしろ神様に対して罪人であるからこそ、それを赦すために命を与えられたのです。

2.人にしてもらいたいことを人にしなさい
続いてイエス様は「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と言います。その意図するポイントは、見返りを期待しないで与えなさいということです(31〜34節)。自分を愛してくれる人を愛するのは誰でも同じです。しかし、自分に見返りがなくても愛しなさいとイエス様は言うのです。
これもまた、イエス様がそうされたからです。私たちは良い行いによって救われるのではなく、ただイエス様が一方的に赦してくださったから救われているのです。私たちはただそれを受け取るだけで、ギブアンドテイクではないのです。私たちが一方的に与えられているのだから、与えられたように与えなさいと言われるのです。

3.情け深く、憐れみ深く、主がそうであるように
 最後のポイントは、主がそうであるように、誰に対しても憐れみ深くあるようにということです(35〜36節)。別の箇所でイエス様は「隣人を愛する」とは、相手が誰であっても(敵対していても)、その人が助けを必要とする時に隣人になりにいくことだと教えました(善いサマリア人のたとえ)。これもまたイエス様がそうであるからです。敵を愛するのは普通ではありません。しかし、イエス様から受け取るものではじめて生まれるものです。イエス様に応答していきましょう。

<思い巡らし>
奪うものに与える/見返りを期待せずに与える/誰でも隣人になる/そんなイエス様の歩みについていきましょう

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神様に見つめられる幸い https://katsutachurch.jp/hsuzuki240121/ Sun, 21 Jan 2024 12:23:47 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5700 ルカによる福音書6章20~26節  牧師 綿引久美子 『幸い』で有名な今日の箇所。今日はルカが記した『幸い』に心を留めます。 1.弟子たちに目をあげて見つめるイエス様(17,20節)  今日の箇所は、とても有名な箇所で、......

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ルカによる福音書6章20~26節  牧師 綿引久美子

『幸い』で有名な今日の箇所。今日はルカが記した『幸い』に心を留めます。

1.弟子たちに目をあげて見つめるイエス様(17,20節)
 今日の箇所は、とても有名な箇所で、マタイとルカに記されています。イエス様の言葉が弟子たちに伝えた言葉であること、そして『幸い』から始まり、『2人の人が家を建てるたとえ話』で終わるところは共通していますが、内容を細かく見ていくと多くの違いがあります。その大きな違いの一つは、語った場所です。マタイでは、山に登り、弟子たちに近寄ってお話をされました。イエス様が一番話を伝えたい相手を選び、自ら歩み寄る謙遜な姿が描かれています。一方、今日の箇所であるルカは、山から下りで平らな土地に立ち、イエス様に触れたい群衆に揉まれながら、弟子たちを見上げてお話しをされています。この世の中では、教える人が教えられる人に対して、目を上げることはありません。イエス様は、天から降り、人となられ、私たちより目線を下げて、子供に話すように話をしてくださる姿が描かれています。この姿もイエス様の謙遜の姿を教えています。

2.『幸いとは』(20~23節)
 『幸い』とは何ですか?幸せですか?幸運ですか?どちらも人の営みの中にある豊かさを表わす言葉です。イエス様の言う『幸い』は、人の営みの中にあるものではありません。イエス様を通して、天からくる人の生み出すことのできない心の安らぎです。不幸と思われる状況の中でも、『幸い』はあります。心の向かうところが違うのです。イエス様の灯す光は、どんな苦しみの中でも、悲しみの中でも、神様の懐の中に向かう一筋の希望の道が示されています。そしてその道はいつも神様に手をひかれ、共に歩むのです。その手は温かく、私たちに安らぎを与えます。

3.4つの『幸い』と4つの『不幸』(20~26節)
 マタイでは8つの『幸い』が描かれています。ルカでは4つの『幸い』と4つの『不幸』が描かれます。『不幸』は、他訳では『哀れだ』と訳されています。しかも、『不幸』は、原文では感嘆詞が用いられ直訳では『ああ、哀れだ。ああ、なんという悲惨さ。ああ、なんと気の毒なんだぁ』と悲痛な叫びの声のように描かれています。その人の生き様に、真の『幸い』をもたらしたい神様の嘆きの声にも聞こえます。
 神様の眼差しは、神様の言葉の中にあります。日々の生活の中で、御言葉を私たちが心に蓄えることで、神様の『幸い』に生きることができます。マタイとルカがそうであったように、同じ神様の言葉でも、その人それぞれに語りかける神様のメッセージは違います。あなたにだけ語る神様の言葉を蓄えて、幸いな人になりましょう。

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平和の子を探して https://katsutachurch.jp/hsuzuki240114/ Sun, 14 Jan 2024 08:07:57 +0000 https://katsutachurch.jp/?p=5697 ルカによる福音書10章1~12節  牧師 鈴木光 「イエス様と出かける、イエス様と招く」という今年度の教会テーマに合わせて、ルカ10章からイエス様と出かけていくことについて学びましょう。 1.遣わされるわたしたち  今日......

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ルカによる福音書10章1~12節  牧師 鈴木光

「イエス様と出かける、イエス様と招く」という今年度の教会テーマに合わせて、ルカ10章からイエス様と出かけていくことについて学びましょう。

1.遣わされるわたしたち
 今日の個所はイエス様が十二人の弟子たちだけでなく、さらに七十二人の弟子たちを町や村に遣わしたということが記されています。十二弟子もそうであったように、イエス様は人を育てる時に、ただ言って聞かせるだけではなく、使命を与えて遣わします。実際にイエス様の働きをしていく中で、彼らは成長していきます。
 今を生きる私たちにも同じメッセージが語られています。イエス様は私たちをこれからイエス様に出会おうとする人々のもとに遣わすのです。(1節)
また、それはたった一人でということではなく、二人ずつをチームで遣わします。

2.収穫の働き手は平和の子
遣わされてするべきことを詳細にイエス様は教えます。まず何よりもその目的は「収穫の働き手」を探すことです。その働き手はどこからともなく送られてくるわけではありません(ここで送ると訳されている言葉は「選び出される」という意味でもあります)。それは遣わされていくところにいる「平和の子」だと言います(2~6節)。イエス様を迎える、心の開いている人を探しにいくのです。そして、平和を祈って受け取ってくれる人を見つけましょう。

3.三つの祈り
 さらに具体的な指示は続きます(7~12節)。ここまで、収穫の働き手を願って祈り、出会った人に平和を祈りました。最後に三つ目の祈りとして、イエス様は「いやし」を祈るように教えます。
 出会った人たちの必要を聞いて、そのためにとりなして祈りましょう。それから、イエス様の福音を届けるのだと言います。
 イエス様の平和を受け取ってくれる人を探しましょう。受け取り手がいなければ平和は自分に返って来るとイエス様は約束しています(6節)。平和をもってイエス様と一緒に出かけていきましょう。

<思い巡らし>
私たちは遣わされています/平和の子と出会えるように祈って遣わされましょう/平和を祈り、また受け取ってくれる人にいやしを祈りましょう

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