私の所に来なさい

 ヨハネによる福音書7章37~44節

 私たちの本当の姿を見ている神様は、私たち以上に私たちを良く知っておられます。「私の所へ来なさい」心の奥底の「渇き」を潤そうと、神様は私たちに声をかけ続けています。あなたは呼びかけに応えますか?拒みますか?

1.祭りの時(37節)

 仮庵の祭りがエルサレムで行われていて、イエス様も弟子たちも祭りに集っていました。仮庵の祭りは、ユダヤで収穫祭として行われていました。もとは、出エジプトの時、荒野をさまよった民たちが神様によって養われ、守られてきたことを覚えるお祭りです。シロアムの池の水を汲み、祭りの期間、祭壇に毎日、その水を注ぎます。この様子から、農地の雨乞いを願う祭りとも一部で言われています。イエス様は、人々の心の奥底の魂が、渇いていることを知っておられました。「渇く」ところにこのお祭りとイエス様の言葉の接点があるように思います。

2.祭りの終わりの日(37~39節)

 『渇いている人は誰でも私の所に来て飲みなさい』最も盛大な祭りの終わりの日、イエス様は、大声で群衆に呼びかけました。人にはどうすることのできない「渇き」に目を留められたイエス様が、永遠の解決を約束してくださいます。「私を信じる人は、生きた水が川となって流れ出る」。イエス様の言葉を信じた人は、後に「神の霊」が与えられ、私たち、すべての人の内に住まわれ、私たちを潤すことを告げられました。

3.受け取る人と拒む人(43~44節)

 イエス様のお語りになった言葉は、耳にしたすべての人の心に留まりました。そして「この人は、何者なのか?」イエス様のことで心がいっぱいになります。イエス様の言葉は、私たちが普段口にする言葉とは違って、神様の権威を持つ命のある「生きた言(ことば)」です。私たちの想像を超えた自身で理解することのできない言葉は、私たちに様々な問いかけをなさいました。その応えはさまざまで、人々は対立します。その問いかけにどう応えるか?イエス様を信じるところから始めてみる!私たちは信じなければ、実は何もわからないのです。私たちをお創りになった神様を信じることで、神様に応えていくところから始めていきましょう。