死んでも生きる

 ヨハネによる福音書11章17~27節   

 イエス様を信じるマルタ、マリア、ラザロという三姉弟がいました。ある日、弟のラザロが病気で死んでしまいました。既に墓に葬られて四日経ったところにイエス様が到着します。姉のマルタがイエス様を迎えに出ました。

1.信仰の限界を超えて

 マルタはイエス様に言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに(21節)」

 彼女は決して不信仰な人ではありません。むしろ、イエス様の祈りを主は必ず聞かれるということや、世の終わりに復活があることも信じると言いました(24節)。

しかし、現実に四日前に死んだ弟が今、復活するとは考えもしませんでした。

ところが、イエス様はこの後、実際にラザロを復活させました。マルタの深い信仰をさらに超えて、イエス様は思いもよらぬことをしました。私たちの持っている常識や、変えようがないと思っている現実に、神様の御手が働くことがあります。「もし、信じるなら、神の栄光が見られる」とイエス様は言われます(40節)。あなたはそれを見たいと願いますか。

2.死んでも生きる

 続けてイエス様はマルタに言います。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる(25節)」

 イエス様は自分が「復活させる者だ」と言ったのではなく、自分自身が「復活」であり「命」であると言われました。イエス様の何か(たとえば人柄、奇跡、教えなど)を求めたり、信じたりする以上に、イエス様自身を信じることに命があるのだと語っているのです。主イエスを求める人は幸いです。その人は死んでも生きます。それは、地上の歩みの先にある永遠の命の約束です。

3.このことを信じるか

 イエス様は最後に「このことを信じるか(26節)」と問いかけます。信じることこそが私たちの応答です。マルタはイエス様が人となられた神、救い主だと信じていると告白しました(27節)。私たちも信じて命を受け取るものになりましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 イエス様を信じる人には永遠の命が与えられます。