渇きを癒すのは

 ヨハネによる福音書4章1~15節  

 

 イエス様がサマリア人のある婦人に呼びかけます。民族的にサマリア人とユダヤ人は犬猿の仲でした。ですから、声をかけられた婦人はとても驚きます。

 

1.へりくだって尋ねる

イエス様はサマリアの女に「水を飲ませてください」と言いました(7節)。それは、ただ喉が渇いていたからではありません。むしろ、霊と心が渇ききっていたのは声をかけられた婦人の方でした。イエス様はそのことを知っていたので、わざわざこの場所に来て彼女に会ったのです(1~6節)。

何かを頼まれれば、基本的に人は相手より優位にたつことができます。普通の人間関係なら逆になりますが、イエス様はサマリアの婦人が心を明かすことができるようにと、あえて「水を飲ませてください」と頼みました。イエス様は私たちのために、私たちより低くへりくだって呼びかけてくださる方です。

 

2.渇きを癒すのはイエス様

 続けてイエス様は、ご自分が何者かを知れば、生きた水を与えることができると語ります(10節)。生きた水とは霊と心を本当に満たすことができる、イエス様の聖霊のことを言っています。しかし、サマリアの婦人は「あなたはくむ物をお持ちでないし、…どこからその生きた水を手にお入れになるのですか(11節)」と問い返します。また、あなたはいったい何者でそんなことを言うのですかと聞きます。

 サマリアの女性の目にイエス様は何も持っていないように映りました。しかし、イエス様がくださるのは物では満たされない、私たちが本当に渇き求めているものです。私たちは本当に求めているものに気づいていないことが多々ありますが、イエス様が人となられた主である神様と知る時、不思議に渇きが癒されるのです。

 

3.わきあふれ、尽きることのない

 「生きた水」とは泉のようにわきあふれ、動いている水のことです。それは貯めておいた水と違い、どんどんあふれ出てきます。イエス様を信じる人の内には、神様の聖霊が豊かにあふれ出し、泉となり、永遠の命に至る水が湧き出るようになります(14節)。それは尽きるがなく、消えることがありません。

 

<思い巡らしてみましょう>

 渇きがありますか。あなたにもイエス様は同様に呼びかけています。