主が決めた方

 創世記24章42~52節    

 

 アブラハムの信仰生活から、「神様に選ばれた人の生き方」を見ていますが、

今日の箇所から、「私たちの人生に深く関わる神様の姿」を共に見つめていきたいと思います。

 

1.僕の誓い(2節)

 今日の箇所を含む、創世記24章では、イサクのお嫁さん探しの一部始終が書かれています。年を取り、死の迫りを感じたアブラハムは、自分の故郷よりイサクに嫁を迎えるために、お嫁さん探しを、一番信頼できる僕に託し、僕はアブラハムの故郷へお嫁さん探しの旅に出かけます。アブラハムの故郷に着いた僕は、まず神様に祈りました。すべて神様がお示しになる事、そのことを僕は良く知っていました。

2.主の決められた方リベカ(42~46節)

 僕が祈り終えないうちに、僕の祈ったとおり、水を汲みに来た女性がいました。そして僕の祈ったとおり、自分とラクダに水を飲ませてくれました。僕は即座に、神様を礼拝しました。この女性がリベカ、イサクのお嫁さんになる女性です。リベカは、アブラハムの血縁にあたる女性です。アブラハムと神様が交わした子孫繁栄の契約は、ここでアブラハムからイサクへとバトンタッチされることになります。

3.神様のご意志(51~52節)

 僕はリベカに、イサクのお嫁さんとして神様がリベカのところまで、導いて下さったことを話しました。そして、リベカの家族のところに僕は出向き、カナンにいるイサクのところに嫁いでほしいと話をします。兄と父親は「主のご意志ですから、主のお決めになったとおり」とリベカを嫁がせることにすぐに了承しました。そして神様を礼拝しました。私たちの人生は、神様によって築かれています。私たちが気づいても、いなくてもその事実は変わりません。そして、その中で起きてくるすべては、神様が深く関わっています。無駄なものは何一つなく、すべてが私たちの成熟につながる出来事であるのです。リベカがイサクのお嫁さんになる事も、リベカが生まれる前から、神様がお決めになっていたことなのです。じつは私たちは、生きているそのこと自体が、神様への呼びかけに応えていることになるのです。

<思い巡らしてみましょう>

 あなたの人生の中に神様の恵みがあるのを知っていますか?良いことも悪いことも、すべてが神様にある豊かな恵みです。