神に選ばれた方

創世記 23章1~20節  

 

 アブラハムは妻サラの死を嘆き、心を込めて葬ります。「神に選ばれた方」と周囲の人々から認められていたアブラハムの姿に注目し、信仰者が人々の中でどのように歩むべきを考えてみましょう。

1.人を愛し、悲しみを知る人

アブラハムはサラの死を悲しみました。はばかることなく嘆き、悲しみをあらわにしました(1~2節)。信仰者は死の先にも希望があることを知っています。しかし、それで悲しみが無くなるわけではありません。喜びと同様に悲しみも神様が与えてくださった人間の感情です。アブラハムと同じように、そして誰でも同じですが、信仰者は家族を愛し、失えば悲しみます。それで良いのです。

また、アブラハムは愛するサラのために墓を用意し、自分の住まいのすぐ近くに丁寧に葬ります(3~4節)。クリスチャンはお墓を大切にしないと誤解されることがあります。故人を礼拝することは(偶像礼拝になりますから)しませんが、故人を悼み、主の平安を祈ることは何も変わることがありません。

 

2.誠実でちゃんとしている人

 アブラハムは墓地を取得するにあたって、その土地の人々(アブラハムはその土地で外国人でした)に礼を尽くし、誠実に話し合って購入します。

 イエス様は「小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」と言われました(ルカ16:10)。神様に仕える人は、世の中でも賢明に、そして誠実に生きるものだということです。信仰は浮世離れして生きるための言い訳ではありません。むしろ、その生き方をとおして神様の素晴らしさを感じてもらえれば良いですね。

 

3.天に希望を持つ人

 実はアブラハムの私有地は生涯でこの墓地だけでした。彼は神様から大いに祝福されて、財産はたくさんありましたが、それで神様が約束してくれた土地を自ら買おうとは考えませんでした。それは、彼がこの世のものに執着せずに、いつも天に希望をもっていたからです。信仰者は普通の人ですが、信仰に生きる人です。

 

<思い巡らしてみましょう>

 信仰を持って生きることに不安や悩みはありますか? 逆に期待や喜びはありますか? 天国の希望についてどう思いますか?