伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

   ヨハネによる福音書2章1~12節              

 

 イエス様は、自ら声をかけ弟子を招きました。ここからいよいよイエス様の公生涯が始まります。イエス様は、カナの婚礼の席で「最初のしるし」として奇跡をなされました。その時、イエス様と出会った人たちに教えてくださっているイエス様のメッセージを受け取っていきたいと思います。

 

 

1.イエスの母(1節)

 婚礼の祝宴の手伝いをしていたイエス様の母マリア。ここではマリアでなく「イエスの母」と呼ばれています。また、イエス様は母マリアに対して「婦人よ~」と呼びかけています。自分の母に対して「婦人よ」と呼びかけるのはあまりにも不自然です。しかしこの呼びかけを通して、母マリアは、イエス様が聖霊によって身ごもった神の子であることを思い起こします。またこの呼び名は、イエス様が十字架上で息を引きとるところ(19:27)でも使われています。イエス様の公生涯の始まりと終わりがこの不自然な呼びかけであることに、イエス様が神の子として使命をもってこの地に遣わされたことを伝えています。

2.召し使いと世話役(9~10節)

 イエス様は、婚礼の祝宴でぶどう酒が足りなくなる大失態に対して、水をぶどう酒にする奇跡を通して、喜びの祝宴に変えてくださいました。その奇跡を目の当たりにした召し使いは、神様の栄光をイエス様に見ます。どこから来たかわからない奇跡のぶどう酒を目にした世話役は、そのぶどう酒が極上であったことをたいそう褒めました。神様のなさる御業は最高のものであり、神様と出会っていない人にもわかる素晴らしいものです。その神様の奇跡は、実は私たち一人一人の中に起こっています。なぜなら死に値する罪人が、赦されて生きる者とされているからです。

3.今私たちの受け取る「しるし」(11節)

 この奇跡を目の当たりにした弟子たちは、イエス様が神の子であると信じました。私たちは聖書を通して今まさに「しるし(奇跡)」を見ています。そして、私たちの中に、このしるしが現れて、「地の塩,世の光」として生かされている事実を知らされます。私たちは、神様の栄光を現わす存在です。神様を知らない人にもわかる素晴らしい者に変えられています。そのしるしが私の中に生きている!と体感して日々歩めたら、どんなに幸いでしょうか。ここに人生の希望があるのです。

<思い巡らしてみましょう>

 「わたしの中に神様の奇跡のしるしが生きている」神様を信じてしるしを受け取り、幸いな人生を手にしていきましょう。