伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

   創世記12章10節~20節             

 

 主に従いぬく素晴らしい信仰で有名なアブラハムですが、今日の個所ではそんな立派な姿はなく、どこか情けない振舞いをしています。

 

1.頼るべき相手

 先週の個所でアブラハム(当時はアブラム)は、神様の言葉に素直に従って約束の地までたどり着きました。ところが、その地方にひどい飢饉が起きたため、彼は大国であるエジプトに避難しました(10節)。その行動の良し悪しはハッキリと聖書に書かれてはいませんが、やはり神様よりも強い国に頼るという姿は他の個所ではしばしば不信仰な姿として描かれているものです。

 しかも、彼はエジプトでの身の安全と繁栄を得るために、こともあろうに妻サライを売るような行動に出ます(11~13節)。これはもう神様への信頼をまったく忘れてしまったように見えるアブラハムの失敗だと言えるでしょう。

 信仰の人アブラハムでさえ頼るべき相手を見間違えることがある。それは警告でもあり、どこか私たちへの弱さへの励ましでもあるかもしれません。

 

2.それでも祝福されるのか

 ところが、今日の個所の不可解なところは、そんなアブラハムの振舞いにも関わらず、結果としてアブラハムも妻サライも守られ、さらには多くの財産を得てエジプトを去ることになったということです(14~20節)。因果応報や悪いことをしたら罰が当たるという考え方とはまったくそぐわない、それでいいのか、と思うような出来事です。一つ確かなことは、主は約束を必ず守るということです。アブラハムの失態にも関わらず、神様は彼を守り、かえって財産をも与えました。

 

3.本当の祝福は別にある

 実はこの出来事のより深いメッセージは、その不可解さにこそあります。私たちが思う祝福と、神様が本当に与えようと思っている祝福はよくズレているということです。アブラハムに約束された土地や子孫が与えられるのは、彼の人生の晩年であり、なおかつその一部のみでした。神様が与えた真の祝福は、神様と歩む豊かな人生の歩みそのものであり、またその先にまで続く祝福でした。

 

<思い巡らしてみましょう>

 何を頼りにしていますか。どんな祝福を期待していますか