伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

  マルコによる福音書14章66~72節                          

 

 

 先日、灰の水曜日を迎え、受難節(レント)を迎えました。イエス様の十字架の苦難を心に留め、改めて私たちを救ってくださった神様の愛を覚える時です。復活祭(イースター)までの日々、あなたはどのように過ごしますか?

今日の箇所は、イエス様のお言葉通り、愛弟子ペトロがイエス様を裏切る決定的な出来事を記しています。ここから、人の限界を超えて、すべてを覆う、神様の愛を受け取っていきたいと思います。

 

 

1.人の限界~「知らない」としか言えなかった ペトロ(67~68節)

 イエス様が裁判にかけられた時、ペトロは、遠く離れたところでイエス様に従っていました(54節)。ペトロはイエス様に対する信仰を失っていたわけではありません。しかし、自分にも命の危険が迫ってくる状況の中で、自分の命を懸けて、イエス様と共に歩むことはできませんでした。私たちは、愛する者のために命を捨てるほどの深い愛を、自力で生み出すことはできない者なのです。人の愛には限界があるのです。

2.自分の罪と向き合う時~口から出た言葉で心砕かれたペトロ(70~71節)

 イエス様の仲間であることを名指しされたペトロは、「知らない」と3回口にします。先の2回は、不意に出た言葉でした。しかし、最後の一回は、呪いの言葉さえ口にしながら「知らない」と言います(71節)。その瞬間、鶏が鳴き、自分の口から出た言葉に失望します。じぶんの口から、イエス様に献身していく誓いの宣言と呪いの言葉との、両方が出てきたことに、ペトロは男泣きするほどのやるせなさを覚えます。これこそ、私たちがどうすることもできない『罪』の姿なのです。

3.イエス様の宣言~私たちの王の勝利宣言(61~62節)

 マルコの福音書では、ご自分が死刑になるとわかっていながら、イエス様は宣言してくださいました。「私はメシア(救い主)だ」と言われたのです(61節)。人は、限界があり、どうすることもできない罪の部分を持ち合わせています。この現実から自力で抜け出すことはできません。王の王、主の主でおられる神様の御力によって勝利してくださるのです。イエス様は、十字架の苦難に耐え、一度死を迎えられたうえで、復活という勝利の姿を私たちに見せてくださいました。勝利者イエス様の愛が、人の限界に勝利してくださるのです。

 

<思い巡らしてみましょう>

 神様の勝利を心に留めて、十字架の苦難を覚えていきましょう。