伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

   創世記3章1~15節                

 

 神様は人間を「極めて良い」ものとして造られ(創世記1:31)、愛しておられます。ところが、人間(アダムとエバ)は神様を裏切ってしまいました。神様に背いてしまい、過ちを犯してしまう人間の罪の源(原罪)が今日の個所には記されています。

1.聖書の教える罪とは

 人間には誰でも「罪」があると聖書は教えています。しかし、聖書の教える罪とは単なる犯罪や、漠然とした悪いことを意味している言葉ではありません。

 ローマの信徒への手紙1章28~32節を見てみると、罪の源にあるのは「神様を認めないこと(信じない、従わない)」だと分かります。聖書の教える罪とは、まず神様との関係の問題に基づくものなのです。

2.責任転嫁と悔い改め

 罪を犯した後のアダムとエバの行動は、実に人間のよくある姿をあらわしています。まず、彼らは「隠れ」ました(8節)。次に、彼らは責任を誰かに押し付けようとしました(12~13節)。罪を隠そうとする姿も、自分では負えない(負いたくない)罪を誰かのせいにしようとする姿も、確かに人間の姿そのものではないでしょうか。

しかし、私たちは聖書から、神様は悔い改めるものを必ず赦してくださる、ということを学ぶことができます。必要なのは素直な心で自分の罪の姿を認めて受けとめ、正直に主に告白して赦されることです。

3.回復の約束

 主は悔い改める者を赦し、関係をいつでも回復してくださる方です。神様が私たちを赦す準備は万端です。既にアダムとエバの罪の始まりから、イエス様の十字架の救いの業が予告されています(15節)。

 イエス様は私たちの罪の結果(滅び)を、十字架で代わりに受けておられます。罪を認める事を恐れる必要はありません。信じて救いを受けるものは幸いです。

 ① 「罪」というと、どんなイメージを持っていましたか?

 ② ローマ1:28~に書かれた罪について、あなたはどう感じますか?

 ③ アダムとエバの行動に共感する部分はありますか?自分ならどうしますか?