何故なら、私は共にいる

     使徒言行録第18章5-11節   

 

  教会が建てられていく最初のころ、伝道者を襲うのは人々の嘲りと迫害でした。どのようなときであっても主の導きがあることを使徒言行録は伝えています。「私は共にいる」と語りかける主は今日も私たちに生きる道を示されています。

 

 

1.≪ コリントの町でのパウロ≫

 キリスト教の伝道は当時、ユダヤ人の会堂で論じることから始まります。コリントの町でパウロもまた会堂で「イエスは救い主」と熱く語ります。それに対してユダヤ人は反発し、ののしります。パウロは、彼らに対して、拒絶と絶縁のしるしの「服の塵」を落とし、罪の責任はユダヤ人自身にあると宣言し、伝道の方向を変えます。

2. ≪異邦人伝道≫

 これは苦渋の決断です。何故なら、アテネで彼は天地創造の神を知らない異邦人伝道に失敗していたからです。大きな挫折を味わった。でも彼はそのアテネと同じ異邦人に再び伝道を開始します。異邦人のために選ばれたという召命に立ち返ったからです。

その決断は、会堂の隣に異邦人伝道の拠点となる家が提供され、更に町の有力者であり、会堂司であるクリスポが一家で信仰者となり、更に町の多くの人々が洗礼を受け続けている。大きな成果があった。その時に主イエスのお言葉がパウロに臨みます。

3.≪主の言葉「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」≫

 パウロは召命に立ち返って、恐れずに勇気を出し、迫害にひるむことなく、神の言葉を語り続けています。何故主はこう言ったのでしょうか。その謎を解くのは6節の言葉。「私の民が大勢いる。」パウロはコリントでの成果を見届けて次の伝道の地へ赴こうとした。満たされて。主イエスは違うという。「恐れるな」とは逃げ出すなとの意味。言い換えると主のまなざしから遠ざかるなということ。パウロは主のまなざしよりも、成果に目を向けていた。主はまだコリントの地でさせたいことがあったのです。コリントには大勢の主イエスの民がいるからです。この町は商業都市で、交通の要所で、軍港があり、世界中の人々がやってくる。神殿娼婦もいて、退廃的なまち。金持ちもいれば貧者もいる。教養のある人もいれば、無知から身を落とす人もいる。堕落と虚無にいる人々を救いたいと主イエスは語ったのです。この人々が「私の民」だという。私の民を救いたいと主は叫ぶ。主の民は町の有力者だけではないのです。

4.パウロの応答

 良い成果は自己満足でしかないことを悟り、数か月ごとに伝道地に向かっていた彼は18か月滞在しました。そこで、彼は主の民を救うために伝道ではなく、神の言葉を正しく伝える後継者を育てます。11節の「教える」は「教育した」との報告です。

主は苦しい時だけではなく、自己満足の誘惑の時にも共にいてくださる。どの様な時にも主の愛のまなざしと共に伝道する人々が教会の始まりにいました。今も教会はその歩みの中にいて、ひたすら語り続けています。それは勇気があるからではなく、主が共にいてくださるからです。生きるとは自己満足のためではなく、主が喜ばれるためでありましょう。

≪思いめぐらしてみましょう≫ 

  キリスト者は自己満足のためではなく主が喜ばれるために生きる。私は?