触れさえすれば

マタイによる福音書9章18~26節   

 

「求めなさい。そうすれば与えられる」(7:7)神様が与えて下さる希望とは、どんなものでしょうか?2人の信仰から「希望」について御言葉に耳を傾けていきたいと思います。

 今日の個所では、イエス様に願い求めた2人の人が登場します。

1.父親の願い~死という絶望からの救い(18~19節,23~25節)

 「わたしの娘がたったいま死にました。でもおいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」(18節)会堂指導者の父は、死んだ娘の生き返りを願い、イエス様に懇願します。イエス様にひれ伏すのです。死者を生き返らせるのは、人には不可能なことです。父は、ただ娘の生き返りだけを願い、イエス様に願うのでした。「人には出来ぬが、神には出来る」。イエス様には可能なことでした。娘は、息を吹き返しただけでなく、起き上がったのです。完全に生き返ったのです。

2.出血の続く女の願い~人生の絶望からの救い(20~22節)

 「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」(20節)12年間、出血の止まらない娘は、心の中で呟きました。出血のために汚れた者とされ、人に触れられたこともない彼女が、自分から触った物は、イエス様の衣の房でした。声をあげて助けを求めることすら許されない、娘の起こした決死の行動。イエス様は、声にならない願いはイエス様の耳に届きました。『娘よ、元気になりなさい。』(22節)

ここでも「人には出来ぬが、神には出来る」人生の一転が起こるのです。

3.2人の抱いた希望~信仰から生まれる希望

 「人には出来ぬが、神には出来る」これが2人の人の持っていた共通点です。神様を信じる者に与えられる希望です。信じなければ、始まらない神様が与えて下さる希望です。神様は、すべての人に『信じる』チャンスを与えておられます。信じて得るか?信じないで諦めるか?それはあなたの応答に架かっています。

<思い巡らしてみましょう>

 あなたは、神様の力を信じますか?そして神様からの希望に生かされますか?