まだ罪人だった時

ローマの信徒への手紙 5章6

~8節  

 

 今日のテーマは「愛」です。神様の愛は「キリストがわたしたちのために(十字架で)死んでくださったこと(8節)」に、最もよく表されています。それは、どのような愛なのでしょうか。さらに深く思いめぐらしてみましょう。

 1.弱い私のために

 「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ(6節)」に、十字架にかかって罪を赦してくれました。ここでいう弱さは、罪の誘惑に負けてしまう「弱さ」です。正しいことをしたくても、できない弱さがあります。良くないと思っていても、自分の欲やプライドに負けて神様の喜ばれない行動をとってしまうことがあります。そういった弱さが確かに人にはあるのです。

 イエス様が十字架にかかったのは、私たちが神様の御前に(聖書の教えに照らして)正しい生き方ができるような、「強い」高潔な人間だったからではありません。むしろ、その弱さを身に負って代わりに十字架にかかられたのです。それが愛です。

2.不信仰な私のために

 「(キリストは)不信心な者のために死んでくださった(6節)」と聖書は続けて語りかけます。イエス様はご自分を信じて受け入れる者のために命を懸けたのではなく、ご自分を信じて受け入れない人や、むしろ拒む者のためにも十字架にかかられました。イエス様は十字架にかけられた時、自分の手足にクギを打ち付け、ねたみに燃えてののしってくる人々を前にして、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(ルカ23:34)」と祈りました。

 イエス様は私たちが信じたから十字架にかかられたのではありません。私たちのうち、誰一人として信じる前から、私たちの代わりに主に赦しを乞うために十字架で死なれたのです。

3.私たちがまだ罪人であったとき

 善人や恩人のために命を懸ける人はいるかもしれません。しかし、正しい人のために命を捨てる人でさえ、まずいないでしょう(7節)。しかし、神様は罪人であるわたしのために(あなたのために)、人となり、十字架に代わりにかかりました。

<思い巡らしてみましょう>

 弱さ、不信仰、罪を担って死ぬほどに、主はあなたを愛しています