リテラシーと信仰

マタイによる福音書28章11~20節  

 

 イエス様が復活したことに、さまざまな人がそれぞれの応答をしました。

1.偽ニュースを流す人々

 イエス様の遺体がおさめられていた墓を見ていた番兵たちは、雇い主である祭司長たちに「多額の金(12節)」を握らされ、脅されて(14節)、イエス様の弟子たちが死体を盗んだと偽ニュースを流しました(11~15節)。あえて、この偽ニュースにまつわる出来事も記録されているところに、かえって聖書の信憑性の高さを感じますが、いずれにしても祭司長たちは自分たちに都合のよいニュースを作り、民衆に信じさせようとしました。現在の世でも、ちょうど偽ニュースが話題になっています。聖書はこの偽ニュースに、どんな反応があったことを語っているでしょうか。

2.リテラシーと信仰

 偽ニュースや報道問題が多い中で、最近は「リテラシー」という言葉がよく聞かれるようになりました。メディアの情報やその意図を正しく読み取る力のことを言います。今日の箇所を見ると、2000年前にも同じようにリテラシーが大切であったことがうかがえます。実際、弟子たちの中でさえ、イエス様を目の前にしてなお、復活を信じる者だけでなく、疑う者がいました(16~17節)。そういう意味では、祭司長たちの偽ニュースは弟子たちにまで影響を与えたようです。

 「信仰」そのものを軽んじる人もいますが、そういう人でも実は別の何かを信じているものなのです。偽ニュースを信じれば、それは偽ニュース信仰です。聖書は「疑う者もいた(17節)」と隠さず教えます。それが、人間の現実の姿だからです。

3.信頼すべき方を信じる

 疑う者もいる中で、イエス様は二つのことを弟子たちに伝えます。一つは、イエス様には「天と地の一切の権能(権威と力)」があるということです(18節)。このイエス様自身の証言を受け取りましょう。もう一つ、これから教会となる弟子たちに使命を与えました(19~20節)。疑う弱さをも愛をもって受け入れ、人生の価値と意義を教えてくれるのがイエス様です。疑い、迷ってよいと聖書は語ります。その上で、あなたの人生を活かす方を選ぶべきです。あなたは誰を信じますか。

<思い巡らしてみましょう>

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