イエスを捜して

マタイによる福音書28章1~10節  

 

 イースター(復活祭)です。イエス様の復活を、ともに祝いましょう!

1.十字架のイエス様を捜して

 無惨な死を遂げたイエス様の遺体を、せめて綺麗にしてあげようと婦人たちが墓に行くと、天使があらわれてイエス様の復活を告げました。天使はこう言いました。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない(5~6節)」婦人たちは、まさに十字架で死んだイエス様の遺体を捜して墓に来ましたが、イエス様は復活していたのです。

 十字架のイエス様は私たちのために命を落としてくださいました。私たちの罪の罰を代わりに受けて、私たちを赦して代わりに死なれたのです。これほど大きな愛はありません。私たちの信仰の中心です。しかし、イエス様は「十字架にだけ」いる方ではありません。死に打ち勝って復活した方です。そうして、私たちに永遠の命を約束してくださった、力と勝利の神様でもあるのです。

2.墓を捜しても見つからない

 天使は「ここ(墓)にはいない」と言い、「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい(6節)」と告げました。イエス様は今、生きておられる主です。私たちが今、中東にある墓を捜しても、イエス様に会うことはできません。死者や、過去の歴史の中にイエス様を捜しても、会うことはできません。歴史上の偉人や、道徳の模範としてイエス様を捜しても、今、生きておられる主イエスに会うことはできません。

3.今、生きているイエス様を捜して

 婦人たちは、他の弟子たちへの伝言を預かって、「恐れながらも大いに喜び」、駆け出しました(8節)。すると、「イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので(9節)」婦人たちは、復活のイエス様をその場で礼拝しました。

 イエス様は彼女たちの「行く手」にいました。そして、「おはよう」と、何とも日常的で、いつも通りの一言をかけたのです。今、生きておられるイエス様は、私たちの人生の歩みの中に、今日もおられます。日常の中で、私たちと一緒に生きてくださる方なのです。あなたも信じて祈ってみてください。主はここにいます。

<思い巡らしてみましょう>

 イエス様の復活を祝おう。永遠の命を感謝しよう。今、出会おう。