祈る時には

マルコによる福音書11章20~25節  

 

  イエス様は、奇跡を見た弟子たちに、「信じて祈ること」を教えました。

 

1.神様を信じて祈る

 願い祈る時には、まず「神を信じなさい(22節)」とイエス様は言われました。当たり前のように感じますが、何より大切なことです。ここでいう「神を信じる」とは、単に神様がいる、と存在を信じているということではありません。天地を造られた主なる神様は、本当にどんなことでもできる方だ、と信じることなのです。

神様なら私たちにできないこともできる、と「信じるならば、その通りになる(23節)」とイエス様は教えているのです。

2.受け取って祈る

 イエス様は「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい(24節)」と、続けて言われました。

信仰とは「受け取ること」です。たとえば、十字架の信仰とは、イエス様が私を赦すために十字架で死んでくださったということを信じて、その「赦し」を受け取ることです。同じように、主がなさることを信じて受け取ることこそが信仰です。

もちろん、自分勝手な願いが何でもかなうという話ではありません。しかし、神様の御心にかなうことは、すぐにか、時間が経ってからかは分かりませんが、必ずなる、と信じて受け取って祈るのです。

3.人を赦して祈る

 最後に、祈る時に「だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい(25節)」とイエス様は話します。なぜなら、私たち自身が、神様から赦されているから祈ることができるので、自分は赦されて祈るけど、他人は赦さない、というのでは、とても神様の御心にかなわないからです。

本来は罪がある私たちが、主の前に立つこと(つまり祈ること)など、あってよいはずがありません。しかし、私たちはみんな、イエス様の十字架によって、罪を赦されて、神様に祈ることができるものとなっています。祈ることは、赦されていることなのです。だから、私たちも、人を赦して祈る者になりましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 主が全能者と信じて/御心はなる、と受け取って/赦して、祈ろう