できれば?

マルコによる福音書9篇14~29節  

      イエス様が悪霊にとりつかれた子どもを助けます。

1.信仰のない時代へ

 一時、別の場所にいたイエス様が戻ってくると、弟子たちが悪霊を追い出すことができなかったことで、律法学者と議論になっていました(14~18節)。イエス様はそれを聞いて、こう言いました。「なんと信仰のない時代なのか (19節)」

 誰を指して「信仰のない時代」と言っているのでしょうか。そこには、弟子たち、群衆、律法学者、そして悪霊につかれた子どもを連れた父親がいました。しかし、聖書は特別に誰のこととは語っていません。むしろイエス様はそこにいる、誰にも信仰がない、ということを気づかせようとしているのでしょう。それは、現在の私たちにも投げかけられているメッセージなのです。あなたには信仰がありますか。

2.できれば?

 悪霊にとりつかれた子の父親は、あらためてイエス様本人に「おできになるなら、(22節)」助けてほしいと言いました。イエス様は「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる(23節)」と言って、この父親自身の信仰を問い返しました。

イエス様はもちろん救うことができるのです。むしろ、問われていたのは、父親自身が、そのことを信じることができるかどうか、でした。

 父親はすぐさま涙を流して叫びます。「信じます。信仰のないわたしをお助けください(24節)」イエス様は、この言葉を受けて子どもを悪霊から救いました。

 この父親の告白は、「信じることができない弱さをも、助けてくださると信じる」という、信仰告白の真髄を私たちに見せてくれています。

3.祈りによらなければ

 この出来事の後で、弟子たちがこっそりとイエス様に、なぜ自分たちには悪霊を追い出すことができなかったのかと聞きました(28節)。イエス様の答えは「祈りによらなければできない」というものでした(29節)。弟子たちは、信仰を忘れて、奇跡を自分たちの力のように誤解していました。祈りは、それ自体が信仰告白でもあります。主を信じて向き合い、その権威を認めて頼ります。

<思い巡らしてみましょう>

 自分の信仰を見直してみましょう。信じて祈る者になりましょう