貧しい人は幸い

マタイによる福音書5章3~12節   

  イエス様の教えの言葉に耳を傾けてみましょう。

 1.貧しい人々

 「貧しさ」にも色々な種類があります。最初に思い浮かべるのは、やはり経済的な貧しさでしょう。貧乏はつらいものです。必要最低限のものさえ手に入らない「貧困」は世界全体で取り組み、無くしていかなければなりません。また貧しさは、特に人と比べてしまう時、惨めな気持ちや、時にねたみや憎しみをも生みます。

そうなると、今度は「心が貧しい」状態になるかもしれません。つまり、すさんだ思いで、心に良いものが何もなくなってしまうのです。また、経済的に豊かでも、心が豊かとは限りません。貪欲にものを求め続けたり、人を見下したり、心が狭くなっていれば、それもやはり貧しさです。

2.幸いな貧しさ

貧しいことは、普通は良くないことだと思われます。しかし、今日の個所でイエス様は衝撃的な言葉を語ります。「心の貧しい人々は、幸いである(3節)」

ここで言う、心が貧しいというのは、先ほど言ったような「心が狭い」とか「心がすさんでいる」という意味とは少し違います。「霊的な貧しさ」というのが本来の意味です。つまり、神様を知らなかったり、見失ったりして、本来の人としての豊かさを無くしてしまっている状態です。

もちろん、その霊的に貧しい状態そのものは良くないですが、今、イエス様から「心の貧しい人々は、幸いである」と語られ、聞いている人は幸いなのです。なぜなら、この言葉を聞いて、受け取る人は皆、誰よりも豊かな者だからです。

3.今ここにある天の国

 イエス様は、そのように霊的な貧しさを知り、イエス様の言葉を信じる人には、「天の国はその人たちのものである」と言います。もちろん、イエス様を信じる人は天国に行けるという意味もありますが、それだけではありません。将来の天国だけではなく、たった今から、あなたは神様の子どもとして、全てを与えられたものとして生きることができます。もう一度、イエス様の約束の言葉を聞きましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

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