悔い改めの宣教

マルコによる福音書6章6~13節

イエス様は12人の使徒たちを村々に遣わして、宣教と癒しの業を行わせました。

1.伝道のマスタープラン

 使徒たちを遣わすにあたって、二人一組にし、悪霊に対する権能を授け、衣服と履物の他には杖以外に何も持たせずに行かせました(7~9節)。イエス様自身も付近の村を巡り歩いていましたが(6節)、わざわざ弟子たちを遣わしたことに大きな意味がありました。それは、イエス様が使徒たちをそばに置いて自らなすべき言動を示し、また信仰だけを持たせて遣わし訓練することで教会の土台を丁寧に築かれたということです。イエス様は主の御力を持っておられましたが、自分で全てをされることを良しとはせず、人に使命を与えて育てる方でした。主は今も私たちにそのように関わろうとされています。神様と向き合うことは面倒だと感じるかもしれませんが、逆にいえば神様は私たちと向き合う面倒をいとわず育ててくれるのです。

2.耳を傾けてくれる人へ

 さらにイエス様は弟子たちに、行った先の村で迎えてくれる家があれば、そこに留まって聞く耳を持った人に福音を伝えるように指示します(10~11節)。もし、誰も迎えてもくれず、耳も傾けてくれないなら、足についた埃さえ払い落して返し、何も関わりがなかったかのように村を去りなさいと言います(11節)。裏を返せば、福音を伝える時には、喜んで迎えて聞く人もあれば、聞く耳のない人もいる、という現実がよく表されています。しかし、そのことで騒いだり、嘆いたりしなくとも、きちんと自分の働きを果したら、また次の場所に遣わされていきなさいということを教えられています。またいつか聞く耳のある時に語る人がそこに現れることを信じてゆだね、それぞれ遣わされた場所で主の弟子として歩みましょう。

3.悔い改めの宣教

 彼らが宣教したのは「悔い改めさせるため」でした(12節)。人には誰でも罪があるというのは、なかなか伝えづらい話です。しかし、聖書が語っているのはまさにそのことであり、イエス様が十字架にかかられたのも、それを赦すためでした。福音の恵みは悔い改めの先でこそ深く味わうことができます。臆せず伝えましょう。

 

<思い巡らしてみましょう>

遣わされた場所、人、使命を考え、信仰によって応答しましょう。