できるかぎり

      マルコによる福音書14章1~9節  

 

 今日の箇所は、「ナルドの香油」としてよく知られている所です。イエス様に香油を注いだ一人の女の行動に目を留めて、「信仰に生きること」を改めて考えていきたいと思います。

 イエス様は、ペトロの信仰告白の後、人々に、終末の出来事について話してきました。そして、話し終える時、イエス様の苦難が始まっていくのです。ちょうどその始まりにあたるのが今日の箇所になります。

1.香油を塗った一人の女(3節)

 過越祭の2日前、ベタニアのシモンの家で食事をしているところに、一人の女が入ってきます。そして、イエスに近づき「ナルドの香油」をイエス様の頭に注ぎます。香油はとても高価なものです。しかも通常、死者の葬りの際に使うものであります。また、頭に注ぐ行為は、王や祭司長の就任の際に行う行為とされています。彼女のとった行動は、周囲の目からは異常な行為でした。しかし、後を知る私たちは、彼女の行動が、とても信仰的に特別な意味のある行動であることがわかるはずです。

2.憤慨してののしった人たち(4~5節)

 その場にいた人々は、女をののしりました。「なぜ香油を無駄遣いしたのか」周囲には、彼女の行為は「無駄な行動」に見えたようです。そして、「それを売れば貧しい人々に施すことができたのに」と言います。この時代「貧しい者への施し」は、ユダヤ教の中で重要な信仰的に意味のある行為とされていました。周囲の人たちの憤慨したことは、敬虔な信者であるなら、最も好ましい正しい行為です。自分が「正しい」とされることほど、人の心を満足させるものはありません。しかし、時にその自負が、神の時を見えなくさせてしまうことがあるのです。神様の時にはタイミングがあります。注意が必要です。

3.その時、“できるかぎり”すべきこと(8節)

 「するままにさせておきなさい。」「私に良いことをしてくれた」イエス様の見方は想定外のものでした。女の行為をお喜びになったのです。この後、十字架に架かり、死を迎えるイエス様にとって「香油を注ぐ」ことは、埋葬の準備となったのです。それは、イエス様がそれまで話してきたことを信じて従った彼女の「信仰にある行動」として、イエス様の目に留まったのです。信仰によって、神様の時を知り、できるかぎりのことをした彼女の行動は、御言葉通り、語り継がれています。

<思い巡らしてみましょう>

 今、この時、あなたのすべきことは何でしょうか?

神様の時を信仰の目で知りましょう。