地上の誰よりも謙遜な人

民数記 11章35~12章16節

モーセの兄姉は自分たちが指導者になるべく、モーセに難癖をつけ始めます。

1.自分はどうでもよい

ミリアム(姉)とアロン(兄)は、モーセに異邦人の妻がいることを責めます。しかし、その木当の目的は自分たちがリーダーになることでした(1~2節)。彼らには、「自分たちこそが」という傲慢な思いがありました。

一方で聖書はこう続けます。「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった(3節)」

モーセには自分がリーダーを続けたいという執着は全くありませんでした。実際、他の長老たちが聖霊を受けて預言した時には 「主の民すべてが預言者になればよい(11:29)」と言っています。謙遜の一つの特徴は「自分にこだわらない」ことです。

 

2.主にのみ頼る

モーセが自分にこだわらないのは、彼が神様との関係の中でこそ自分を評価していたからです。神様は絶対的な信頼を持ってモーセを「わたしの僕モーセ(7~8節)」と呼んでいます。人生の苦難を歩み、どん底まで落ちたモーセは、その中でただ神様にのみ頼る者となっていきました。謙遜は主に完全に自分をゆだねることから始まります。

 

3.復讐ではなく赦しを

真の謙遜は復讐ではなく赦しを選びます。

モーセは兄姉から責められる中で一言も反論をしません。そればかりか、主の怒りがミリアムに降ると「神よ、どうか彼女をいやしてください(13節)」と叫びをあげて、とりなし祈りました。主イエスが十字架で何の反論もすることなく、「父よ彼らをお赦しください」と祈ったことと重なります。

責められて怒り、あるいは復讐しようとする時、その人の内に謙遜はありません。無実でありながら、私たちの罪を負った主イエスの姿を見て、その赦しを受け取る時、私たちも復讐ではなく赦しを求める謙遜がはじめて分かります。

 

く思いを巡らしてみましょう>

謙遜を求めましよう。モーセや主イエスの姿に目を留めましょう。