英雄の凱旋が続く

先週末は教会員のW兄の葬儀がありました。
年配で体調を崩されてはいたのですが、誰も予想していなかった急な召天で教会全体が驚きました。私自身もかなりショックでした。
しかし、葬儀をするたびに感じることですが、信仰者の死は悲しみや寂しさは無論ありながらも、それを超える希望や平安、そして時として励ましさえも、残された者たちへ見せてくれるものです。
W兄は毎週ご夫婦で礼拝堂の一番前の席に座って礼拝します。本当にほぼ文字通りに毎週です。無口な方で、調子を崩していた奥さんをよく支えながら、静かに、確かに礼拝を守っていました。
それだけでも十分に敬虔な姿なのですが、葬儀の当日にご自宅に伺って、また私の心を大いに励ますものがありました。

納棺と出棺の式に先立って「棺に一緒に何か故人の大切にしてたものをおさめることがあるのですが、何か入れますか?」とご家族にお聞きしたところ、聖書はどうだろうという話になりました。それでどこに置いてあるかと見回したら、すぐに見つかりました。なぜならすぐ目につく所にあったからです。

リビングの戸棚の、一番開けやすい高さのガラス戸の中です。毎日読む聖書箇所が表になっている小冊子と、眼鏡が一緒にありました。
そして、聖書はボロボロでした。

毎日、夫婦で開いて読んでいたのがよく分かります。そういう汚れかたでした。

牧師はご家庭を訪れることもありますが、基本的には週に一回、礼拝で会うだけです。ですから、実際に普段の生活にどれくらい信仰が根ざしているかは見る機会があまりありません。

だからこそ、ボロボロの聖書は私の心に響きました。思わずご家族に、これは記念にとって置かれたほうが、とおすすめしてしまいました。(聖書日課の表冊子だけ納棺しました)

実はここ数年はかなり葬儀をする機会が多いです。そして一つ一つ書いてはきりのないほど、どの人の時も、何かしらこういった励ましや、ゾクッとするようなミラクルな出来事に出くわすのです。文章でどれほど伝わるか分かりませんが、私にとっては本当に主を感じるというか、神様の業を見る時となっています。

信仰者の葬儀の最も大きな希望は、天国の確信と再会の約束があることだと思います。また一人、信仰の英雄が天に凱旋していきました。賛美をもって見送りたいと思います。

…とは言っても、やっぱり寂しいので皆さん元気で長生きしましょう。

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